ホットミルクを飲む話1

ホットミルク

 特務クラスに入って、ピエロ・ストームスについてわかったことがある。

 まず食に拘りがない。固形の栄養食ばかり食べている。ヴァルハラで出た豪華な料理にも、宿舎でラルクが作った料理にもほとんど口をつけない。信じられねえ!

 金にも拘りはないらしい。どっかよくわかんねえところに寄付してんだってさ。

 そんでいつ寝ているのかもわからない。マジで化け物みたいだ。

 なにが楽しくて生きてるんだろうな、この人。

 

 ベッドの上でちらり、と窓に視線をやる。カーテンの隙間から光が差し込んでいるのが見えた。今夜は満月だ。吸血鬼としての性か、どうにも気が高ぶって落ち着かない。さすがに下級吸血鬼みたいに血を欲したりはしないけれど。

 冴えた目のまま寝返りを打つ。向こうのベッドにすやすやと寝入っている相棒の姿が見えた。マジでビルは寝るのが早えな……。俺は寝入りが遅いのでこいつの特技は羨ましい。

 どうにもならなくて、俺は音を立てぬように部屋を抜け出した。

 トントン、と階段を下りる。いつも皆が集まっているリビングに小さな明かりが灯っていた。

 ダークブロンドの髪に光の輪が輝く。ピエロさんがソファーに座っていた。一瞬酒でも飲んでいるのかと思ったけれど、意外とそこら辺をきっちりしているこの人に限ってそれはないだろう。コーキさんならともかく。

 一度、特務クラスの皆で隙を見て酒を頂戴しようとしたことがあったけれど無理だった。そんくらい徹底しているんだ。

 かさり、とピエロさんがなんかの書類を机に置いた。ほらな。

「眠れないのかい? まあ、今夜は満月だしな……」

 青い瞳が蝋燭の光に照らされる。

 やっぱり部屋に戻ろうかな。そんなことを思っていたら、突然ピエロさんが爆弾発言をした。

「ホットミルクでも作ろうか」

 綺麗に整理されているキッチンは、ラルクが日頃から使いやすいように色々工夫しているんだろう。下の方の棚を開けてピエロさんは白いホーローのミルクパンを取り出す。冷蔵庫から取り出したミルクをとぽとぽと注ぎ、火にかけた。

 本当に作れんの? という思いが顔に出ていたらしい。ピエロさんが苦笑しながら「あっためるくらいは出来る、たぶん」と言っていた。

 ミルクが温まるまでしばし待つ。気まずいな、気まずい。この人と二人でいることってまずないし。俺は嫌われているし。なんでノコノコついてきちゃったんだろう。珍しいから気になったんだよな。

「はい」

 俺は手渡されたマグカップを見つめた。真っ白なそれはほんのり甘い香りがする。不思議と気持ちが落ち着いていく。

 この人、きっと年下は好きなんだろうな。向こうだって俺じゃなければもっと嬉しかっただろうに。そんなことを思いながら俺はホットミルクを口にした。

「!?」

 獣の味がする! なんだこれ! なんだこれ!? 飲み込め! 頑張れ、俺!

 ごくんっ、と大きく喉が鳴った。後味も中々すごい。どうにか顔に出さないように取り繕う。

 ピエロさんに目をやると、ほんのちょっぴり、びっくりしたような顔をしていた。そしてふっ、と笑った。いつもの馬鹿にしたような笑いではなく、柔らかな笑みだった。

 ああ。きっと、このミルクは──。

 こういうときにはっきり「まずい」と言えるあいつのためなんだろうな、とぼんやりと思った。

 

 ◇◇◇

 

「あー……。バジル君が変な顔していたのはこれかあ」

 こくり、とミルクを流し込む。今日のミルクは味が違った。

 たまたまいつも仕入れているところから手に入らなくて、別のミルクだったのだ。どうも獣くさい。これでは山羊のミルクを飲み慣れない彼にはきつかっただろう。

「また嫌がらせしたみたいになっちゃったな」

 機会があるなら、今度こそ美味しいミルクを飲ませてやろう。そんな機会はもう一生訪れないかもしれないが。

 ふと顔を上げるとキッチンの小さな窓から朝日が差し込んでいた。灰色と紫色と黄色が混ざったような色だった。

 また新しい一日が始まる。ピエロは目を細めて光を見つめた。

afterword

いつもミルクを配達してくれる人が休みで、品質が悪い山羊ミルクを飲む羽目になったバジル(不憫)
2021.1.18

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